思春期の頃に感じる社会と接するときに使う仮面のようなものは、自分という人間の情報を他人に伝えるためのある種のインターフェイスで、送信機。その仮面はどんどん多様化するし、進歩する。


そして、その進歩の延長線上にテレビ、ラジオ、本、楽器というメディアがある。そのようなメディアが仮面の進化したものであるならば、それは外的な媒体でははなくて、内的なものとして捉えることができる。つまりは、自分自身のパーソナリティーの一部。ということは、メディアを脳細胞や神経系列の一部と考えることもできる。


マクルーハンの「メディアはメッセージである」という抽象化された言葉がいろんな本に利用されているのを見たけど、本質的なことはこの辺にあるのかなと思う。最近は。


歴史的に人間はそのような送信機としての仮面を進化させてきた。コンピュータもそうだし、ADSL光ファイバーといったインフラ技術を向上させることに必死なのを見ても理解できるような気がする。でも、受信機としての人間自身の進化まだまだ余地がある。受信する技術の進化。内面の感覚とか、情報とか、コンテキストとかさ。


社会はまだまだ思春期だ。
そう思うと楽しくなってきた。